小説と脚本の違いは何ですか? そんな質問をしばしば受けます。僕の答えはシンプルに「どちらも同じ」です。どちらも物語を書くという行為には変わりなく、書き始めるまでの準備や、書いている途中の楽しさと苦痛はまったくもって同じです。
ただ、あえて相違を挙げるとすれば、それは「Bがあるかないか」ということになるでしょうか。いえ、別に「B」でなくとも構いません。「2」であってもよいのですが、とにかく、「中間がない」という意味です。
例えば小説の場合。
「Aが起こったことによりBになり、その結果Cになった」よくある物語の構図。Aがあり、Bになり、Cという結末を迎えるという三段階。
ですが、これが舞台になると、「Aが起こったことにより、結果Cになった」という書き方を僕は好んでしています。
その理由は簡単で、間のBという段階を飛ばすことによって、物語をよりシンプルに、より明快にしたいと考えているからです。舞台は待ってくれません。読み返しが利きません。だから、出来るだけ大きく二段階の構成を、と僕は思っています。
ただ、そうなると、少しばかり心配が出て来ます。単純になった分、物語の深度が浅くなり、面白みが減るのではないか?
――大丈夫です。「B」を書いてはいませんが、消えた訳ではないのです。
では、間の「B」はどこへ行ったのか?
それはもちろん「読み手」です。僕が描いていない「B」を、読み手がちゃんと埋めてくれるのです。声、リズム、スピード、抑揚、音の高低――朗読という表現が物語を深め、色をつけ、Cという結末へ運んでくれるのです。
今回の朗読作品『赤い雨』は、とりわけ「B」を書かなかった脚本と言えるかもしれません。その分、読み手の力に頼ることになりそうですが、彼女らがその「B」をどんな風に描いてくれるのか、僕は今、楽しみで仕方ありません。